-
プロジェクト終了&ご支援の御礼
- 【金色・銀色に輝く、新しい赤膚焼の創作に挑戦。作陶を支える傷んだ窯の修理支援プロジェクト。】へのご支援、誠にありがとうございます。
本プロジェクトは2023年4月10日をもちまして、無事終了することができました。
応援してくださるみなさまのおかげで、目標金額を達成する2,006,000円のご支援が集まりました。
心より感謝申し上げます。
おかげさまで、創業から稼働し続けた登り窯と電気窯を修復・買い替えすることができました。
クラウドファンディングでご支援いただいた資金のうち、手数料や返礼品にかかる費用を除いて、
登り窯と電気窯の修復・買い替えに、計152万円使用させていただきました。 -
- 最近では、クラウドファンディングの返礼品にもあった作品に加え、北斗七星や今年の干支の兎をモチーフにした作品にも新たに挑戦しています。
-
- この度は本プロジェクトへご支援をいただきまして、誠にありがとうございました。
また奈良にお立ち寄りの際は、金色・銀色に輝く新しい赤膚焼を見に、がんこ一徹長屋にお立ち寄りいただけますと幸いです。
今後とも「赤膚焼 大塩恵旦」を何卒よろしくお願いいたします。 -
金色・銀色に輝く赤膚焼に挑戦する陶芸家、赤膚焼・大塩恵旦。
-
- 私は、奈良・西ノ京の「がんこ一徹長屋」に工房を構えてから28年間、奈良県指定伝統的工芸品である赤膚焼の創作活動を行っている奈良県伝統工芸士で陶芸家の大塩恵旦と申します。
当窯では、法相宗大本山薬師寺の国宝・東塔解体修理の調査時に基壇(土壇)から発掘された 1300 年前の粘土を使って、新しい赤膚焼の創作に挑戦しています。
そして、作陶が難しい粘土ではありましたが、ついに金色・銀色に輝く今までにない赤膚焼の茶碗を生み出すことができました。 -
-
また、金色・銀色に輝く茶道具の棗(なつめ)は、令和4年度 第73回奈良県美術展覧会・工芸部門にて入選いたしました。 -
- 奈良県美術展覧会の入選証を手にする大塩恵旦
-
-
-
発掘された粘土をそのまま使用したから誕生した新たな赤膚焼。
- 当窯では、発掘された粘土に他の土を混ぜたりせず 100%そのままを使用し、釉(うわぐすり)を使わない「焼き締め」の技法にこだわりました。
「登り窯」で松の灰を飛ばして高温焼成後、「電気窯」で高温焼成すると、粘土成分と松の灰との化学反応によって素地(きじ)が金色に窯変しました。
さらに「電気窯」で長時間低温焼成することで、黒みを帯びた銀色に窯変したのです。
予想だにしない出来事でしたが、1300 年前の粘土をそのまま使用したから生み出すことができた赤膚焼の新たな魅力です。
(左)金色に窯変した赤膚焼の茶碗
(右)黒みを帯びた銀色に窯変した赤膚焼の茶碗 -
-
-
成型・焼成が難しい粘土。試行錯誤の末に長年の勘と技で克服。
- 発掘された 1300 年前の粘土は、とてもきめ細やかで粘りが少なく、轆轤(ろくろ)による成型が難しいものでした。
焼成では、窯の中で大きく裂けてしまったり、火ぶくれや山傷ができたりとなかなか思うようにいかず、作陶当初の9割は失敗作ばかりでした。
しかし、その後も試行錯誤を重ね、長年の勘と技で克服し、今では7割を作品として世に出すことができるまでになりました。
<作陶の工程>
①陶土 -
-
②成型(画像は通常の赤膚焼です。1300年前の粘土を使用したものではありません。) -
-
-
③乾燥 -
-
④素焼き -
-
⑤本焼き(「登り窯」での高温焼成) -
-
-
⑥二次焼成(「電気釜」での高温焼成と低温焼成)
⑦窯出し -
-
-
1300年の時を越え、赤膚焼の新たな可能性と魅力を伝えるために。
- 当窯では、今後もこの粘土を使った作陶に精進してまいりたいのですが、創業時から休まずに稼働してきた「登り窯」「電気窯」の傷みが酷く、大がかりな修理や窯の買い替えを考えておりますが、そのためには多額の資金が必要です。
創業から 28 年間、休まずに稼働してきた「登り窯」 -
-
- ところどころ亀裂やひび割れが
-
- 奈良県指定伝統的工芸品である赤膚焼によって、奈良時代の土に命を吹き込むとともに、赤膚焼の新たな魅力をより多くの方々に知っていただくための創作活動を続けたいと願っておりますので、本プロジェクトへのご支援を何卒よろしくお願いいたします。
奈良・西ノ京「がんこ一徹長屋」
赤膚焼・大塩 恵旦 -
赤膚焼について(奈良県指定伝統的工芸品)
-
- 赤膚焼は、天正11年(1583)、豊臣秀吉の弟、大和郡山城主の秀長が、日本の六古窯の一つ、常滑(愛知県)から陶工を招き、赤膚山(奈良市赤膚町)で茶器を焼かせたのがはじまりで、現在、奈良市に4軒、大和郡山市に2軒の窯元があります。
江戸時代末期、赤膚焼の中興の祖といわれる名工・奥田木白(おくだもくはく)によって描かれた「奈良絵」の茶碗が人気を博し、その後の赤膚焼の主な作風となりました。
「奈良絵」とは、室町時代末期から江戸時代かけて作られた絵草紙「奈良絵本」に描かれた絵のことで、その素朴な画風が赤膚焼の温かみのある乳白色の釉(うわぐすり)の風合いによく合い、今も「奈良絵茶碗」は赤膚焼の代名詞にもなっています。
また、湯呑み・花瓶・壺・皿・マグカップなど様々な器も作られ、窯元で行われている「絵付け体験」などは、修学旅行生や観光客に人気があります。 -
-